東京の日(7月17日

東京の日のイメージ画像

東京の日は、慶応4年7月17日、現在の暦では1868年9月3日に、「江戸を東京と称す」とする詔書が出されたことにちなむ日です。この詔書によって、江戸は「東京」と称されることになり、同じ日に江戸府に代わって東京府が設置されました。

由来

慶応4年7月17日に発せられた詔書は、一般に「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔」と呼ばれています。国立公文書館には、この詔書の原資料が保存されています。

詔書では、江戸について「東国第一の大鎮」であり、四方から人や物が集まる重要な土地であると説明されました。そのうえで、天皇が自ら赴いて政治を行い、人々を安んじるべき場所として位置づけ、「今後、江戸を東京と称する」と定めています。

7月17日は旧暦の日付

詔書が出された「慶応4年7月17日」は、当時使われていた旧暦の日付です。現在の太陽暦に換算すると、1868年9月3日にあたります。

記念日としては歴史上の月日をそのまま用い、毎年7月17日が「東京の日」として紹介されています。ただし、制定した公的機関や制定年が明確な公式記念日というより、江戸が東京と称されるようになった歴史的な出来事を振り返る日として定着した呼び名です。

東京府も同じ日に誕生

詔書が発せられた同じ日、江戸府に代わって東京府が設置されました。当初の東京府が管轄した範囲は、江戸時代に町奉行所が支配していた「朱引内」と呼ばれる地域を中心としたもので、現在の東京都全域よりもはるかに限られていました。

現在の23区に当てはめると、千代田区、中央区、港区、文京区の全域と、新宿区、台東区、墨田区、江東区などの一部に相当する地域だったとされています。

改称後の東京

江戸が東京と称された時点では、天皇はまだ京都にいました。明治天皇が初めて東京へ向かったのは同年のことで、慶応4年9月に京都を出発し、10月に東京へ到着しました。江戸城は東京城と呼ばれるようになり、政治の中心機能も次第に東京へ移されていきました。

翌1869年には明治天皇が再び東京へ移り、太政官など政府の中枢機関も東京城内へ移されました。この一連の過程によって、東京は実質的に日本の政治の中心地となりました。

ただし、1868年7月17日の詔書は、江戸を東京と称することを定めたものであり、現代的な意味で「東京を日本の首都とする」と明記した法律ではありません。東京への首都機能の移転は、天皇の行幸や政府機関の移転を通じて段階的に進められました。

「東京」の読み方

東京という名称は、「東にある京」という意味を持つ名称です。改称当初は、現在と同じ「とうきょう」だけでなく、「とうけい」と読まれることもありました。

公文書や出版物などでも複数の読み方が見られましたが、時代が進むにつれて「とうきょう」という読み方が広く定着していきました。

東京都になるまで

  • 1868年:江戸を東京と称する詔書が出され、東京府が設置されました。
  • 1889年:市制の施行により、東京府の中に東京市が設置されました。
  • 1943年:東京府と東京市が廃止・統合され、東京都が発足しました。

現在の「東京都」という行政区分が誕生したのは、江戸から東京への改称から75年後の1943年です。東京の日は、江戸から東京、東京府、東京市、東京都へと続く都市の歴史を振り返るきっかけとなる日です。

豆知識

  • 慶応4年は、改元によって明治元年となった年です。
  • 7月17日は旧暦の日付で、現在の暦では1868年9月3日にあたります。
  • 江戸の改称と東京府の設置は、同じ慶応4年7月17日に行われました。
  • 詔書では、江戸が「東国第一の大鎮」と表現されています。
  • 東京への首都機能の移転は、一度の宣言ではなく、天皇の行幸や政府機関の移転を通じて段階的に進みました。