「大正」改元の日(7月30日)

「大正」改元の日は、1912年(明治45年)7月30日に、元号が「明治」から「大正」へ改められた歴史的な節目の日です。明治天皇の崩御に伴って皇太子嘉仁親王が皇位を継承し、同日、7月30日以後を大正元年とする改元の詔書が発せられました。
由来
1912年7月30日、明治天皇が崩御し、皇太子嘉仁親王が践祚しました。これに伴い、新たな元号を「大正」と定める詔書が発せられ、明治45年7月30日以後を大正元年とすることが決まりました。
このため、1912年7月30日は、明治時代の終わりであると同時に、大正時代の始まりとなった日です。当時の改元は、天皇一代につき一つの元号を用いる「一世一元」の制度に基づいて行われました。
「大正」という元号の意味
「大正」の典拠については、中国の古典である『易経』の一節に基づくものとされています。「大いに亨りて以て正しきは、天の道なり」という趣旨の言葉から文字が選ばれ、政治が正しく行われることへの願いが込められた元号と解釈されています。
国立国会図書館が紹介する同時代の日記には、『春秋公羊伝』の「君子大居正」と『易経』の言葉の両方が典拠として記されています。一方、『大正天皇実録』では『易経』が出典とされており、資料によって説明に違いが見られます。
一世一元の制度と改元
日本では古くから、災害、疫病、政治的な節目などを理由として、一人の天皇の在位中に複数回の改元が行われることがありました。しかし、1868年の明治改元に際して、天皇一代に一つの元号を用いる「一世一元」の制度が定められました。
大正への改元は、この制度に基づき、天皇の代替わりに合わせて行われた最初の改元です。その後、1926年12月25日に大正天皇が崩御すると、同日以後を昭和元年とする改元が行われました。
大正時代とは
大正時代は、1912年7月30日から1926年12月25日まで続きました。期間は約14年半と、明治や昭和に比べると短いものの、日本の政治、社会、文化が大きく変化した時代です。
政党政治や民本主義を求める動きが広がった「大正デモクラシー」、都市文化や大衆文化の発展、女性の社会参加を求める活動など、現代につながるさまざまな変化が見られました。一方で、第一次世界大戦、米騒動、関東大震災など、日本社会に大きな影響を与えた出来事も相次ぎました。
豆知識
- 大正への改元を定めた詔書には、明治45年7月30日以後を大正元年とする趣旨が記されています。
- 1912年7月30日は、暦の上では大正元年7月30日として扱われますが、改元当日に作成された文書には「明治45年7月30日」と記されたものもあります。
- 大正時代は、1912年7月30日から1926年12月25日までの約14年半で、近代以降の元号の中では比較的短い時代です。
- 「大正」の読み方は「たいしょう」で、英字表記では「Taisho」または長音を示した「Taishō」が用いられます。
出典
- 国立公文書館「大正と改元」
- 国立公文書館「一世一元の制となる」
- 国立国会図書館「石黒忠悳:大正元年7月30日の日記より」
- 国立印刷局「官報の歴史」