秋桜子忌(7月17日

秋桜子忌のイメージ画像

秋桜子忌(しゅうおうしき)は、俳人で医師でもあった水原秋桜子の命日にあたる7月17日の文学忌です。旧字体を用いて「秋櫻子忌」とも表記され、俳句の世界では晩夏の季語として扱われています。

由来

水原秋桜子は、1892年10月9日に東京・神田で生まれ、1981年7月17日に88歳で亡くなりました。その命日をしのぶ日が秋桜子忌です。

秋桜子は「喜雨亭」という別号を用いていたことから、7月17日は喜雨亭忌(きうていき)とも呼ばれます。また、代表句の一つである「滝落ちて群青世界とどろけり」にちなみ、群青忌(ぐんじょうき)という呼び名もあります。歳時記によっては「紫陽花忌」を関連する呼称として挙げる場合もあります。

水原秋桜子とは

水原秋桜子は、本名を水原豊といい、医学博士でもあった俳人です。東京帝国大学医学部を卒業し、産婦人科医として活動する一方で、高浜虚子に俳句を学びました。

山口誓子、阿波野青畝、高野素十とともに、「ホトトギス」を代表する俳人の頭文字から「四S」と呼ばれたことでも知られています。

その後、俳句雑誌『馬酔木(あしび)』を主宰し、自然を客観的に写し取るだけでなく、作者の感情や美意識を重ねた抒情的な俳句を追求しました。写生を重視した高浜虚子の俳句観から離れ、昭和俳句に新しい表現の方向を示した俳人の一人です。

『馬酔木』と近代俳句への影響

『馬酔木』は、もともと『破魔弓』という名称で創刊された俳句雑誌です。水原秋桜子らの提案により、1928年から『馬酔木』へ改題され、翌1929年から秋桜子が主宰を務めました。

『馬酔木』からは、石田波郷、加藤楸邨、藤田湘子など、昭和を代表する俳人が育ちました。秋桜子の活動は、一つの俳句雑誌にとどまらず、近代俳句の表現や人材育成にも大きな影響を与えています。

「群青忌」の由来となった句

滝落ちて群青世界とどろけり

この句は、滝が勢いよく落ちる光景と、周囲に広がる深い青色の世界を力強く描いた作品です。「群青世界」という鮮やかな色彩表現と、滝の音を感じさせる「とどろけり」という言葉が重なり、視覚と聴覚の両方に訴える句となっています。

秋桜子の俳句には、自然の美しさを繊細な色彩感覚で捉え、そこに作者の感動を重ねる特徴があります。この句を代表作として、秋桜子忌は「群青忌」とも呼ばれるようになりました。

豆知識

  • 水原秋桜子の俳号は、旧字体では「秋櫻子」と表記されます。
  • 秋桜子忌、喜雨亭忌、群青忌はいずれも7月17日を指す晩夏の季語です。
  • 「喜雨」は、日照りの後に降る恵みの雨を意味する言葉です。
  • 秋桜子は俳人としてだけでなく、産婦人科医、医学博士としても活動しました。
  • 主な句集には『葛飾』『霜林』『残鐘』『帰心』『殉教』などがあります。