米騒動の日(7月23日

米騒動の日のイメージ画像


米騒動の日は、1918年(大正7年)7月23日に、現在の富山県魚津市で米の県外移出を止めようとする集団行動が起きたことにちなむ日です。魚津市では、この日を「魚津米騒動の日」と位置づけ、米価高騰に苦しんだ人々の行動と、その歴史的な意味を後世に伝えています。

由来

1918年7月23日、当時の富山県下新川郡魚津町で、漁業に携わる家庭の女性たちが米の積み出し場所に集まり、米を県外へ運び出さず、地域の住民に販売するよう求めました。

現場となったのは、魚津町の大町海岸にあった十二銀行の米倉庫周辺です。北海道へ米を運ぶ船への積み込みが予定されるなか、女性たちは米の移出を止めるよう働きかけました。この行動は、当時の公的記録や新聞記事で確認できるものとしては、富山県内でも早い時期に起きた米騒動の一つとされています。

米騒動が起きた背景

第一次世界大戦中の日本では、物価の上昇や都市人口の増加などを背景に、米の需要が拡大していました。さらに、1918年に政府がシベリア出兵の方針を固めると、米価が一層上がるとの思惑から、買い占めや投機的な取引が広がりました。

米価が急激に上昇する一方、漁業に携わる家庭の収入は必ずしも物価上昇に追いつきませんでした。毎日の食生活を支える米を購入することが難しくなり、生活に直結する切実な問題として、女性たちが米の移出中止や安価な販売を求めるようになりました。

全国へ広がった米騒動

富山県では魚津だけでなく、水橋、滑川、富山などの地域でも、米の移出中止や安売りを求める行動が起きました。こうした動きが新聞で報じられると、米価高騰への不満は全国へ広がり、各地で米商人への抗議、米の安売り要求、集会などが相次ぎました。

騒動は1道3府40県に及ぶ大規模な社会運動へ発展したとされ、警察だけでなく軍隊が出動した地域もありました。政府は米価対策を迫られ、1918年9月には寺内正毅内閣が総辞職します。その後、原敬を首相とする日本初の本格的な政党内閣が成立しました。

「発端」の考え方

7月23日の魚津町での行動は、長く全国的な米騒動の発端として紹介されてきました。魚津市も、公的機関の記録や当時の新聞報道で確認できる行動としては最も早いものの一つであることから、魚津を「米騒動発祥の地」として顕彰しています。

一方、後年に行われた当事者への聞き取り調査などでは、同年6月下旬から7月上旬ごろ、富山県の東水橋町ですでに米価高騰に対する動きが始まっていたとする研究もあります。そのため、魚津での出来事を唯一の始まりと断定するよりも、富山県内で続いていた一連の生活防衛運動が、7月23日の魚津での行動や新聞報道を通じて広く知られるようになったと捉えるのが適切です。

米騒動発祥の地に残る建物

魚津市には、女性たちが米の積み出し中止を求めた現場に建っていた旧十二銀行魚津支店の米倉が残されています。米騒動が実際に起きた場所に当時の建物が残る例は全国的にも珍しく、近代日本の社会史を伝える貴重な遺構となっています。

魚津では、かつて米騒動が地域の不名誉な出来事として扱われ、積極的に語られなかった時期もありました。現在では、米価高騰に苦しむ家族の暮らしを守ろうとした女性たちの行動として見直され、関連資料の展示や歴史を伝える取り組みが行われています。

豆知識

  • 1918年7月23日の行動では、魚津町の女性たちが米の県外移出を止め、地域で販売するよう求めました。
  • 全国各地の騒動は、単なる暴動ではなく、米の安売りや生活の安定を求める民衆運動としての側面を持っていました。
  • 米騒動の参加者には、漁業に携わる家庭の女性、労働者、都市住民など、さまざまな立場の人々が含まれていました。
  • 全国規模の米騒動は寺内内閣の総辞職にも影響し、その後の本格的な政党内閣の成立につながりました。
  • 魚津市では7月23日を「魚津米騒動の日」とし、米騒動の歴史と女性たちの行動を後世へ伝えています。

出典

  • 魚津市「魚津でおこった米騒動」
  • 魚津市観光協会「米騒動発祥の地」
  • 富山県博物館協会「富山県の米騒動はどのように報じられたか」
  • 国立公文書館「米騒動が全国に広がる」