ポツダム宣言記念日(7月26日)

ポツダム宣言記念日は、1945年(昭和20年)7月26日に、日本へ戦争終結の条件を示した「ポツダム宣言」が発表されたことにちなむ日です。宣言はアメリカ、イギリス、中国の3か国の名で発表され、日本政府に対して全日本軍隊の無条件降伏などを求めました。
由来
1945年7月、第二次世界大戦後のヨーロッパの処理や対日方針などを協議するため、ドイツのベルリン郊外にあるポツダムで首脳会談が開かれました。
会談期間中の7月26日、アメリカ大統領ハリー・S・トルーマン、イギリス首相ウィンストン・チャーチル、中華民国政府主席の蔣介石の名により、全13項目からなるポツダム宣言が発表されました。中国はポツダム会談に出席していませんでしたが、宣言には同意し、連名で発表しています。
ソビエト連邦は当時、日本と日ソ中立条約を結んでいたため、7月26日の宣言には加わっていませんでした。その後、ソ連は8月8日に日本へ宣戦を布告し、ポツダム宣言に参加しました。
ポツダム宣言の内容
ポツダム宣言は、単に日本へ降伏を求めるだけでなく、戦後の日本をどのようにするかという基本方針も示した文書です。
- 日本軍の武装解除
- 戦争犯罪人に対する処罰
- 軍国主義的な勢力の排除
- 民主主義的傾向の復活と強化
- 言論、宗教、思想の自由や基本的人権の尊重
- 日本国民の意思に基づく平和的で責任ある政府の樹立
- 目的達成後の連合国占領軍の撤収
第13項では、日本政府に対して、すべての日本軍の無条件降伏を直ちに宣言するよう要求しました。ここで求められたのは、文言上は日本という国家そのものではなく、全日本軍隊の無条件降伏でした。
発表から受諾まで
日本政府はラジオ放送などを通じて宣言を入手し、外務省が日本語訳を作成して内容を検討しました。しかし、政府は直ちに受諾を表明せず、鈴木貫太郎首相の記者会見で使われた「黙殺」という言葉が、連合国側には宣言を拒否する姿勢として受け止められました。
その後、8月6日に広島、8月9日に長崎へ原子爆弾が投下され、ソ連も対日参戦しました。日本政府内では、天皇の地位をどのように扱うかをめぐって意見が分かれましたが、最終的に昭和天皇の決断を経て、ポツダム宣言を受諾する方針が決まりました。
日本政府は1945年8月14日にポツダム宣言の受諾を連合国側へ通告しました。同日に「終戦の詔書」が発布され、翌8月15日正午、昭和天皇が詔書を読み上げた録音がラジオで放送されました。これが一般に「玉音放送」と呼ばれています。
降伏文書への調印
1945年9月2日、日本政府と日本軍の代表は、東京湾に停泊していたアメリカ海軍の戦艦ミズーリ号上で降伏文書に調印しました。降伏文書には、ポツダム宣言の条項を誠実に履行することなどが記されています。
ポツダム宣言の発表、受諾、玉音放送、降伏文書への調印は、それぞれ異なる日付の出来事です。7月26日は宣言が発表された日、8月14日は日本政府が受諾を通告した日、8月15日は終戦が国民へ伝えられた日、9月2日は降伏文書へ正式に調印した日となります。
豆知識
- 「ポツダム」は、現在のドイツ東部にある都市で、首都ベルリンの南西に位置しています。
- 宣言の正式な名称は、英語で「Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender」とされ、日本語では「日本の降伏条件を定めた宣言」などと訳されます。
- 宣言は全13項目で構成され、日本の領土、軍隊の武装解除、民主化、基本的人権、戦後占領などに関する方針が示されました。
- 7月26日の発表時点では米・英・中の3か国による宣言であり、ソ連は後から参加しています。
- 「ポツダム宣言記念日」は、法律で定められた国民の祝日や政府制定の記念日ではなく、歴史上の出来事を振り返る日として紹介されている名称です。