山上憶良敬愛の日(7月21日)

山上憶良敬愛の日は、奈良時代の歌人・山上憶良が作品に込めた、子どもや家族を思う心を後世へ伝えるための記念日です。福岡県福岡市を中心に社会貢献活動を行う「夕顔憶良会」が制定し、2024年に一般社団法人日本記念日協会から認定・登録されました。
由来
日付は、山上憶良が神亀5年7月21日に、子どもへの深い愛情を表した「子らを思う歌」を詠んだとされることに由来します。
山上憶良は、子どもを思う親の心を詠んだ歌で知られています。記念日には、その作品に表された思いやりの心を振り返り、次の世代へ伝えていこうという願いが込められています。
山上憶良とは
山上憶良は、奈良時代初期に活躍した官人・歌人です。遣唐使の一員として唐へ渡った経験を持ち、帰国後は伯耆守や筑前守などを務めました。
『万葉集』には、家族への愛情を詠んだ歌のほか、貧しい人々の暮らしや病気、老いといった現実に目を向けた作品が収められています。宮廷や自然の美しさだけでなく、庶民の生活や人間の苦しみを題材にしたことから、社会性のある歌人としても評価されています。
「子らを思う歌」に込められた親心
山上憶良の「子らを思う歌」は、子どもに勝る宝はないという親の率直な気持ちを表した作品として親しまれています。
銀も金も玉も何せむに
まされる宝子にしかめやも
この歌は、銀や金、宝石がどれほど貴重であっても、自分の子どもに勝る宝はないという意味です。千年以上前に詠まれた歌でありながら、家族を大切に思う気持ちは現代にも通じます。
制定した夕顔憶良会の活動
記念日を制定した夕顔憶良会は、福岡市の小学一年生などに夕顔の種を贈る「夕顔運動」をはじめ、子どもや家庭を見守る社会貢献活動に取り組んでいます。
夕顔は夕方から花を開くことから、子どもたちに「夕顔の花を見に家へ帰ろう」と呼びかけ、帰宅や家族との時間を意識してもらう活動として展開されています。山上憶良が歌に込めた子どもへの愛情と、地域で子どもを見守る活動を結び付けた取り組みです。
山上憶良と九州
山上憶良は筑前守として、現在の福岡県にあたる地域へ赴任しました。大宰府では大伴旅人らと交流し、筑紫歌壇を代表する歌人の一人として多くの作品を残しました。
貧しい人々の生活を対話形式で描いた「貧窮問答歌」も代表作の一つです。政治を担う官人として人々の暮らしを見つめた経験が、憶良の現実的で人間味のある作風につながったと考えられています。
豆知識
- 山上憶良の生年は確定していませんが、660年ごろに生まれ、733年ごろに亡くなったと推定されています。
- 『万葉集』には、山上憶良の歌が約80首収められているとされています。
- 憶良は伯耆守として、現在の鳥取県中部にあたる地域にも赴任しました。
- 鳥取県倉吉市では、憶良が家族への愛情を詠んだことにちなみ、「家族」をテーマとする山上憶良短歌賞が行われています。
- 「山上憶良敬愛の日」は、山上憶良の業績だけでなく、子どもや家族を大切にする心を見つめ直す記念日でもあります。
出典
- 一般社団法人日本記念日協会「山上憶良敬愛の日」
- 鳥取県「山上憶良」
- 倉吉市立図書館「山上憶良短歌賞」