河童忌(7月24日)

河童忌(かっぱき)は、1927年(昭和2年)7月24日に亡くなった小説家・芥川龍之介をしのぶ忌日です。芥川が生前に河童の絵を好んで描き、晩年の代表作として小説『河童』を発表したことから、この名で呼ばれています。
由来
芥川龍之介は1892年(明治25年)3月1日に東京で生まれ、『羅生門』『鼻』『地獄変』『杜子春』など、幅広い題材を扱った作品を残しました。1927年7月24日、東京・田端の自宅で自ら命を絶ち、35歳で亡くなりました。
「河童忌」という呼び名は、芥川が河童を題材とした絵をたびたび描いていたことに加え、亡くなる年の1927年3月に小説『河童』を発表していたことに由来します。
小説『河童』とは
『河童』は、精神病院に入院している「第二十三号」と呼ばれる人物が、河童の国で体験した出来事を語る形式の作品です。人間社会とは異なる価値観を持つ河童の世界を通して、政治、経済、家族、恋愛、芸術、宗教などを風刺的に描いています。
作品は雑誌『改造』の1927年3月号に発表されました。ユーモアを交えながらも、人間社会への鋭い批判や芥川自身の不安が反映された作品として、現在も広く読まれています。
河童忌に集った文士たち
芥川の死後、親交のあった作家や芸術家たちは、東京・田端の料亭「天然自笑軒」に集まり、芥川をしのぶ会を開きました。この会も「河童忌」と呼ばれ、1928年(昭和3年)から1943年(昭和18年)まで毎年開催されました。
参加者には、芥川と親しかった菊池寛、久保田万太郎、小杉放庵をはじめ、多くの文士や文化人が名を連ねました。河童忌は、芥川の作品だけでなく、彼を取り巻いていた文学者たちの交流を伝える場にもなりました。
現在の河童忌
芥川が暮らした東京都北区田端では、現在も7月24日前後に、芥川龍之介の生涯や作品を振り返る催しが行われています。田端文士村記念館が中心となり、講演や展示などを通して河童忌の歴史が受け継がれています。
2026年7月24日は、亡くなった年を一回目として数える仏事の数え方では、芥川龍之介の百回忌にあたります。
豆知識
- 芥川龍之介は「澄江堂主人」という号を用いたことから、その忌日は「澄江堂忌」と呼ばれることもあります。
- 俳号の「我鬼」にちなんで、「我鬼忌」と呼ばれる場合もあります。
- 芥川の死後、友人だった菊池寛が文学賞の創設を提案し、1935年に「芥川龍之介賞」が設けられました。
- 小説『河童』は、芥川が亡くなる約4か月前の1927年3月に発表された晩年の代表作です。