甘露忌(7月25日)
甘露忌(かんろき)は、俳人・秋元不死男(あきもと ふじお)が亡くなった1977年7月25日にちなむ文学忌です。「不死男忌」「万座忌」とも呼ばれ、俳句の世界では晩夏の季語として扱われます。
由来
「甘露忌」という名称は、秋元不死男の句集『甘露集』に由来します。『甘露集』は没年の1977年に刊行された句集で、その書名を取って命日が甘露忌と呼ばれるようになりました。
また、代表的な句集『万座』にちなんで「万座忌」、俳号から「不死男忌」と呼ばれることもあります。
秋元不死男とは
秋元不死男は、1901年11月3日に神奈川県横浜市で生まれた俳人です。本名は秋元不二雄で、戦前には「東京三」などの俳号を用いて活動しました。
1930年代から新興俳句運動に参加し、伝統的な花鳥風月だけにとどまらず、都市生活や社会の現実、人間の暮らしを題材とした俳句を発表しました。
戦時中には新興俳句への弾圧によって治安維持法違反の疑いで検挙され、長期間にわたって拘留されました。この経験は、その後の作品や俳句観にも大きな影響を与えたとされています。
戦後の活動
戦後は俳号を秋元不死男に改め、現代俳句協会の設立に参加しました。山口誓子が創刊した俳誌『天狼』への参加を経て、1949年には俳誌『氷海』を創刊し、後進の俳人を育てました。
1968年には句集『万座』などによって第2回蛇笏賞を受賞しています。生活の実感や人間への温かなまなざしを持つ作品で知られ、戦後俳句を代表する俳人の一人となりました。
甘露忌に振り返りたいこと
甘露忌は、秋元不死男の作品を読み返すとともに、戦時下で俳句や思想表現が弾圧された歴史について考える日でもあります。
身近な生活や働く人々の姿、戦争によって奪われる自由などを詠んだ作品には、秋元不死男自身の経験と時代への強い意識が表れています。
豆知識
- 甘露忌の日付は、秋元不死男が亡くなった1977年7月25日に由来します。
- 「甘露忌」の名称は、句集『甘露集』にちなんでいます。
- 代表的な句集には『街』『瘤』『万座』『甘露集』などがあります。
- 句集『万座』などにより、1968年に第2回蛇笏賞を受賞しました。
- 俳誌『氷海』を創刊し、長年にわたって主宰を務めました。
- 甘露忌は「不死男忌」「万座忌」とも呼ばれます。