弦斎忌(7月30日)

弦斎忌(げんさいき)は、明治・大正期に活躍した小説家・新聞記者の村井弦斎をしのぶ忌日です。村井弦斎は1927年(昭和2年)7月30日に63歳で亡くなりました。
由来
弦斎忌の日付は、村井弦斎の命日に由来します。平塚市が公開している資料や略年譜でも、弦斎が1927年7月30日に亡くなったことが確認できます。
村井弦斎は、本名を村井寛(むらい・ゆたか)といい、文久3年12月18日、現在の愛知県豊橋市にあたる地域で生まれました。新暦では1864年1月26日にあたります。
新聞記者から人気作家へ
若い頃にアメリカへ渡った弦斎は、帰国後に新聞界へ入り、報知新聞で記者や編集者として活動しました。新聞小説を数多く発表し、生涯に60編を超える小説を残したとされています。
社会の動きや人々の暮らしを題材にしながら、娯楽性だけでなく、生活に役立つ知識や新しい考え方を作品へ取り入れたことが特徴です。明治・大正期には、多くの読者を持つ人気作家として知られていました。
代表作『食道楽』
村井弦斎の代表作は、1903年(明治36年)に報知新聞で連載が始まった小説『食道楽(くいどうらく)』です。物語の中に和食・洋食・中華料理などの献立や調理法、食材の選び方、栄養や衛生に関する知識を盛り込んだ作品で、当時のベストセラーとなりました。
『食道楽』では、約600種類に及ぶ料理や献立が紹介されたとされます。単なる料理書ではなく、登場人物の会話や物語を通じて、家庭料理や健康的な食生活の大切さを伝える内容でした。
作品中には、知育や体育と並んで食生活を重視する考え方が示されています。このため弦斎は、現代につながる食育の考え方を早くから紹介した人物の一人として評価されています。
平塚での暮らし
弦斎は1904年(明治37年)から亡くなるまで、現在の神奈川県平塚市八重咲町で暮らしました。広い敷地で野菜や果物を育て、鶏などを飼いながら、食材や調理法を実際に研究していたと伝えられています。
かつての住居跡にあたる場所は、現在「村井弦斎公園」として整備されています。平塚市では弦斎の功績を伝える催しも行われ、その作品や食文化への取り組みが地域の歴史として受け継がれています。
豆知識
- 村井弦斎の「弦斎」は筆名で、本名は村井寛です。
- 代表作『食道楽』は、小説と料理の実用知識を組み合わせた先駆的な作品です。
- 弦斎は小説だけでなく、新聞記事や評論を通じても生活改善や社会問題について発信しました。
- 平塚市には、弦斎が暮らした住居跡にちなむ村井弦斎公園があります。
- 7月30日の弦斎忌は、作品を読み直し、日本の食文化や家庭料理の歩みを振り返る機会でもあります。
出典
- 平塚市「時代の先駆者 村井弦斎」
- 平塚市博物館「村井弦斎略年譜」
- 平塚市図書館「ひらつかデジタルアーカイブ 村井弦斎」
- 日外アソシエーツ『20世紀日本人名事典』村井弦斎の項目