夢二忌(9月1日)

9月1日は「夢二忌」です。大正ロマンを代表する画家・詩人として知られる竹久夢二(たけひさ ゆめじ)が、1934年(昭和9年)9月1日に亡くなったことにちなむ忌日です。夢二忌は文学・芸術に関わる忌日として知られ、俳句では秋の季語にもなっています。
由来
竹久夢二は1934年9月1日、療養していた長野県の富士見高原療養所で亡くなりました。夢二郷土美術館や金沢湯涌夢二館などの年譜でも、同日が夢二の命日であることが確認できます。
晩年の夢二は海外を巡った後、1933年に帰国し、その後台湾を訪れましたが、体調を崩して帰国しました。1934年1月には富士見高原療養所へ入院し、療養生活を送ります。そして同年9月1日早朝に生涯を閉じました。
竹久夢二とは
竹久夢二は1884年(明治17年)、現在の岡山県瀬戸内市に生まれました。独特の美人画で広く知られ、とりわけ大きな瞳と細身の姿を持つ女性像は「夢二式美人」などと呼ばれ、大正時代を象徴する表現のひとつとなりました。
活動は絵画だけにとどまりません。詩や短歌、装幀、挿絵、広告や日用品のデザインなど幅広い分野に携わり、芸術を人々の日常生活へ取り入れようとした人物でもあります。
『宵待草』でも知られる詩人
夢二は詩人としても作品を残しています。なかでも「宵待草」は代表的な詩として知られ、のちに多忠亮の作曲によって歌曲となり、広く親しまれるようになりました。
美人画の印象が強い夢二ですが、絵、詩、書籍の装幀、グラフィックデザインなどを横断して活動したことから、現在では大正期の総合的な芸術家・デザイナーとしても評価されています。
晩年と富士見高原療養所
1931年、夢二は日本を離れ、アメリカやヨーロッパを巡りました。1933年に帰国した後には台湾にも渡りましたが、体調を悪化させます。
1934年1月、長野県にあった富士見高原療養所へ入院しました。同療養所は現在の富士見高原病院につながる施設で、当時は結核患者などが療養するサナトリウムとして知られていました。夢二のほかにも、多くの文化人がこの地で療養生活を送っています。
夢二は療養を続けましたが回復には至らず、1934年9月1日の早朝に亡くなりました。その後、東京の雑司ヶ谷墓地に埋葬されました。
現在も夢二をしのぶ日
夢二忌に合わせ、夢二ゆかりの地域ではその作品や人物を振り返る催しが行われてきました。群馬県の伊香保では、夢二が残した俳句を顕彰する「夢二忌俳句大会」が開催されており、夢二の命日である9月1日を中心に作品を通じてその生涯をしのぶ機会となっています。
豆知識
- 竹久夢二は1884年9月16日生まれで、現在の岡山県瀬戸内市出身です。
- 1934年9月1日に長野県の富士見高原療養所で亡くなりました。
- 「夢二忌」は俳句で秋の季語として扱われています。
- 夢二は美人画だけでなく、詩、挿絵、装幀、デザインなど幅広い分野で活動しました。
- 代表的な詩のひとつ「宵待草」は歌曲となり、広く知られる作品になりました。
- 現在も美術館やゆかりの地で作品の展示や顕彰活動が行われています。
ファクトチェック
「夢二忌は9月1日で、1934年9月1日の竹久夢二の命日にちなむ」という内容は確認できます。夢二郷土美術館、金沢湯涌夢二館、竹久夢二伊香保記念館などの年譜はいずれも、竹久夢二が1934年9月1日に富士見高原療養所で亡くなったことを記録しています。また、「夢二忌」が9月1日の忌日として扱われていることも、文学忌や季語に関する資料で確認できます。
出典
- 夢二郷土美術館「竹久夢二の足跡」
- 金沢湯涌夢二館「竹久夢二について・年表」
- 公益財団法人 竹久夢二伊香保記念館「竹久夢二とは」
- 富士見高原医療福祉センター「旧富士見高原療養所資料館のご案内」
- 昭和館デジタルアーカイブ「文学忌歳時記」