川柳発祥の日(8月25日)

8月25日は「川柳発祥の日」です。江戸時代中期の宝暦7年(1757年)旧暦8月25日、柄井川柳(からい・せんりゅう)が初めて「川柳評前句付万句合」を行ったことにちなみ、現在の川柳につながる文化の出発点として位置づけられています。旧暦8月25日は、現在の暦では1757年10月7日にあたります。cite
由来
柄井川柳は、享保3年(1718年)に生まれた江戸時代中期の前句付の点者です。名は正道、通称は八右衛門といい、江戸・浅草新堀端の龍宝寺門前で名主を務めながら、前句付の選者として活躍しました。cite
宝暦7年(1757年)8月25日、柄井川柳は最初の「万句合」を興行しました。より厳密には、この日に第1回の「開き」、つまり応募された句の中から選ばれた入選句の発表が行われたとされています。この出来事が、8月25日を「川柳発祥の日」とする根拠になっています。cite
「万句合」とは
当時の江戸では「前句付(まえくづけ)」と呼ばれる文芸が人気を集めていました。選者が七・七などの前句を題として示し、参加者がそれに合う五・七・五の付句を考えて応募するというもので、点者が優れた作品を選びました。
柄井川柳はこの前句付の優れた選者として評判となり、その選句は「川柳点」と呼ばれるようになります。やがて前句がなくても意味が通じる五・七・五の付句が独立して鑑賞されるようになり、柄井川柳の号から「川柳」という名称が生まれていきました。cite
柄井川柳とは
柄井川柳は、現在の川柳そのものを一から考案した人物というより、当時すでに盛んだった前句付を優れた選句によって発展させ、後世の川柳につながる文化を確立した人物として知られています。
最初の万句合以降も句合を続け、その人気は大きく広がりました。山川出版社の『日本史小辞典』によると、宝暦12年(1762年)には一度の句合で寄せられる句が1万句を超えるほどの盛況となったとされています。cite
『誹風柳多留』と川柳の広がり
明和2年(1765年)には、柄井川柳が選んだ前句付の佳句を集めた『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』の初編が刊行されました。この句集の人気によって、前句から独立した五・七・五の作品を楽しむ文化がさらに広まりました。cite
こうして柄井川柳の名は一人の点者の号にとどまらず、人間の日常や世相を五・七・五で表現する文芸そのものを指す「川柳」という言葉へとつながっていきました。
川柳発祥の地は現在の東京都台東区
柄井川柳が暮らし、万句合を興行した場所は、江戸の浅草新堀・龍宝寺門前で、現在の東京都台東区蔵前周辺にあたります。
2007年には川柳発祥250年を記念し、台東区蔵前に「川柳発祥の地」の碑が建立されました。現在も、江戸の庶民文化から生まれた川柳の歴史を伝える場所となっています。cite
豆知識
- 「川柳」という名称は、文芸を始めた時点から使われていた名称ではなく、選者だった柄井川柳の号に由来します。cite
- 1757年8月25日は旧暦の日付で、現在のグレゴリオ暦では1757年10月7日にあたります。
- 川柳の源流となった前句付では、あらかじめ示された前句に五・七・五の句を付けることが基本でした。
- 2007年には川柳発祥250年を記念して、東京都台東区に「川柳発祥の地」の碑が建立されました。cite