木歩忌(9月1日)

9月1日の「木歩忌(もっぽき)」は、大正時代の俳人・富田木歩(とみた もっぽ)の忌日です。木歩は1897年(明治30年)4月14日に東京市本所区で生まれ、1923年(大正12年)9月1日、26歳のときに関東大震災に遭い亡くなりました。俳句の歳時記では「木歩忌」は初秋の季語として扱われています。
由来
木歩忌の日付は、富田木歩の没年月日である1923年9月1日に由来します。この日は、午前11時58分に関東大震災が発生した日でもあります。
墨田区立図書館が紹介する木歩の経歴によると、震災当日、向島にいた木歩は近所の人に助け出され、牛島神社近くの隅田川の堤へ避難しました。その後、木歩を心配して駆けつけた俳友の新井声風(あらい せいふう)に背負われ、火災が迫る中を隅田川沿いに避難したとされています。
二人は枕橋付近まで逃れましたが、すでに橋は焼け落ち、避難を続けることが難しい状況になりました。そこで二人は別れ、声風は隅田川へ飛び込んで生還しましたが、歩くことのできなかった木歩は火炎の中に姿を消しました。富田木歩の没年月日は、この震災が起きた1923年9月1日とされています。
富田木歩とは
富田木歩は1897年4月14日生まれの俳人で、本名は富田一(とみた はじめ)です。幼いころに病気で両足の自由を失い、小学校へ通うことができなかったため、「いろはがるた」や「めんこ」などを通じて文字を覚えたと伝えられています。
生活の困窮や洪水被害など、さまざまな困難を経験しながら俳句に親しみ、当初は「吟波」の俳号を使用しました。その後、自ら木製の義足を作って歩こうとした経験にちなみ、俳号を「木歩」と改めたとされています。
1915年(大正4年)には自宅に「小梅吟社」の看板を掲げ、近隣の俳人たちと句作を行いました。また、「やまと新聞」の俳壇などを通じて活動し、俳人・臼田亞浪に師事。「石楠」などでも作品を発表し、大正期の俳壇で注目されるようになりました。
関東大震災と木歩
1923年、木歩は本所区向島須崎町、現在の東京都墨田区向島付近に住み、貸本屋を営みながら句作を続けていました。その生活を突然断ち切ったのが、9月1日の関東大震災でした。
木歩が暮らしていた本所・向島周辺では地震後に大規模な火災が発生しました。自身で自由に歩くことのできなかった木歩にとって、迫る火災の中での避難は極めて困難なものでした。俳友・新井声風が木歩を背負って避難したエピソードは、木歩の最期を伝える出来事として現在まで語り継がれています。
そのため木歩忌は、一人の俳人をしのぶ日であると同時に、関東大震災の記憶とも深く結びついた文学上の忌日となっています。
現在も残る木歩の足跡
木歩の一周忌には、東京都墨田区向島の三囲神社に句碑が建てられました。また、枕橋の北詰付近には「富田木歩終えんの地」を示す標柱が設けられており、向島には現在も木歩の生涯と関東大震災との関わりを伝える場所が残されています。
木歩の墓は東京都江戸川区平井の最勝寺にあり、震災をともに逃れた新井声風との関係を伝える記録も残されています。
木歩忌は秋の季語
「木歩忌」は俳句の歳時記にも収録されており、9月1日の初秋の季語です。9月1日には関東大震災の犠牲者を追悼する「震災忌」という季語もあり、木歩忌は大正期の俳人の生涯と震災の記憶が重なる季語の一つといえます。
豆知識
- 富田木歩は1897年4月14日生まれ、本名は富田一です。
- 幼少期に病気で両足の自由を失い、学校へ通わず独学で文字を身につけたとされています。
- 最初の俳号は「吟波」で、その後「木歩」に改号しました。
- 「木歩」という俳号は、木製の義足を作って歩こうとした経験に由来すると墨田区立図書館が紹介しています。
- 1923年9月1日の関東大震災で亡くなり、26歳で生涯を閉じました。
- 俳友の新井声風が震災時に木歩を背負って避難した経緯が記録されています。
- 木歩忌は9月1日の忌日で、俳句では初秋の季語として扱われています。
出典
- 墨田区立図書館「富田木歩(すみだゆかりの人物を紹介します)」
- 小学館『デジタル大辞泉プラス』「木歩忌」
- 『20世紀日本人名事典』「富田木歩」