一遍忌(8月23日

一遍忌のイメージ画像


8月23日は「一遍忌(いっぺんき)」です。鎌倉時代の僧で、現在の時宗の宗祖とされる一遍上人の忌日にあたります。一遍は寺院にとどまらず各地を歩いて念仏を勧めたことから「遊行上人」「捨聖」とも呼ばれ、その忌日は「遊行忌(ゆぎょうき)」とも呼ばれます。

一遍忌の由来

一遍上人は延応元年(1239年)に伊予国で生まれ、正応2年(1289年)8月23日に51歳で生涯を閉じました。時宗総本山・遊行寺の公式資料でも、一遍が8月23日に亡くなったことが記されています。

そのため8月23日は一遍を偲ぶ「一遍忌」とされ、「遊行」を続けながら念仏の教えを広めた生涯にちなみ「遊行忌」とも呼ばれています。

一遍上人とは

一遍は鎌倉時代に活動した僧で、現在の時宗の宗祖です。幼名は松寿丸、諱は智真とされ、のちに「一遍」を名乗りました。

文永11年(1274年)には、それまでの財産を手放して伊予を離れ、本格的な遊行の旅へ出ました。その後、およそ16年間にわたって各地を巡り、人々に念仏を勧め続けました。

念仏札を配った「賦算」

一遍の活動を象徴するものが「賦算(ふさん)」です。これは「南無阿弥陀佛 決定往生 六十万人」などと記した念仏札を人々に配るもので、一遍は旅をしながら広く念仏札を配りました。

一遍は特定の寺院を活動の拠点として各地へ出向くのではなく、自ら各地を歩き続けました。この「遊行」という生き方が、一遍を「遊行上人」と呼ぶ理由の一つになっています。

踊り念仏と一遍

一遍は「踊り念仏」でも知られています。時宗総本山・遊行寺によると、一遍は信州佐久で踊り念仏を始めたとされ、当初は自然発生的に行われたものが、次第に形式化していったと考えられています。

遊行の範囲は九州から東北まで広がり、鎌倉や京都などでも念仏を勧めました。京都では多くの人が念仏札を求めて集まり、一遍が肩車をされながら札を配った様子も伝えられています。

兵庫で迎えた最期

正応2年(1289年)、一遍は現在の兵庫県神戸市にあたる兵庫の観音堂へ移り、同年8月23日に亡くなりました。この観音堂は現在の真光寺にあたるとされています。

一遍は臨終を迎える前、自らが所持していた書物を焼いたことでも知られています。そのため本人の著作は現存していませんが、弟子たちが記録した法語や、一遍の没後に制作された国宝『一遍聖絵』などによって、その思想や遊行の足跡が現在まで伝えられています。

豆知識

  • 一遍は延応元年(1239年)生まれ、正応2年(1289年)8月23日に51歳で亡くなりました。
  • 一遍は「遊行上人」「捨聖」などの呼び名でも知られています。
  • 念仏札を人々に配ることを「賦算」と呼びます。
  • 一遍は約16年間にわたり各地を遊行しながら念仏を広めました。
  • 中世には一遍の教えを受け継ぐ集団を「時衆」と呼び、近世以降「時宗」という表記が用いられるようになりました。
  • 一遍の生涯を伝える代表的な史料に、国宝『一遍聖絵』があります。

8月23日は一遍の生涯を振り返る日

一遍忌は、全国を歩きながら身分や立場を問わず人々に念仏を勧めた一遍上人を偲ぶ日です。寺に定住せず遊行を続け、念仏札の賦算や踊り念仏を通じて教えを広めたその生涯は、中世日本の仏教文化を知るうえでも重要な足跡を残しています。