義秀忌(8月19日

義秀忌のイメージ画像


8月19日は「義秀忌(ぎしゅうき)」です。昭和期に活躍した小説家・中山義秀(なかやま ぎしゅう)が1969年(昭和44年)8月19日に亡くなったことにちなむ文学忌で、俳句では秋の季語として扱われています。中山義秀は『厚物咲』で第7回芥川賞を受賞し、その後は歴史小説を中心に独自の文学世界を築きました。 turn299003search5turn299003search7

義秀忌の由来

「義秀忌」は、中山義秀の命日である8月19日に、その文学的業績をしのぶ日です。中山義秀は1900年(明治33年)10月5日に福島県の旧・岩瀬郡大屋村、現在の白河市大信地域に生まれ、1969年8月19日に亡くなりました。 turn299003search10

作家や俳人などの命日をその人物の名前や号、代表作などにちなんで呼ぶ「文学忌」の一つであり、「義秀忌」は歳時記などで秋の季語として掲載されています。暦の上では立秋を過ぎた8月19日は秋にあたるため、俳句の世界でも秋の季語となっています。

中山義秀とは

中山義秀は、1900年に福島県に生まれた小説家です。本名は「中山議秀」。早稲田大学英文科に進み、学生時代には横光利一らと同人誌『塔』を刊行するなど文学活動を始めました。しかし、作家として評価されるまでには長い雌伏の時代を経験しています。 turn299003search8

転機となったのが、1938年(昭和13年)に『文學界』へ発表した『厚物咲(あつものざき)』でした。この作品によって第7回芥川賞を受賞し、小説家として広く知られるようになります。『厚物咲』は、菊作りを背景に二人の老人をめぐる人生の葛藤を描いた作品です。 turn299003search10

歴史小説でも高い評価

芥川賞受賞後、中山義秀は『碑(いしぶみ)』などを発表し、作家としての地位を確立しました。戦後には、太平洋戦争を題材とした『テニヤンの末日』をはじめ、歴史や時代を題材にした作品を数多く手がけています。 turn299003search10

とくに晩年は歴史小説の分野で高い評価を受けました。代表作には『咲庵(しょうあん)』、『新剣豪伝』、『信夫の鷹』などがあります。『咲庵』は明智光秀を題材とした歴史小説で、1964年(昭和39年)に野間文芸賞を受賞しました。その後、日本芸術院賞も受賞し、日本芸術院会員にも選ばれています。 turn299003search7

「最後の文士」と呼ばれた作家

中山義秀は「最後の文士」と称されることもあり、とりわけ戦後の歴史小説では、歴史上の華々しい成功者だけではなく、時代に翻弄された人物や敗者、信念を貫こうとした人々にも目を向けました。そうした人物の生き方を通して、人間の苦悩や意地、誇りを描いたことが義秀文学の特徴の一つです。

晩年には松尾芭蕉を題材とする『芭蕉庵桃青』の執筆に取り組んでいましたが、作品を完成させることなく1969年8月19日に亡くなりました。現在も故郷の福島県白河市には中山義秀記念文学館があり、著作や遺品などを通してその文学的業績が伝えられています。 turn299003search10

豆知識

  • 中山義秀は1900年10月5日、現在の福島県白河市大信地域に生まれました。
  • 1938年、『厚物咲』で第7回芥川賞を受賞しました。 turn299003search8
  • 『碑』『テニヤンの末日』『咲庵』『新剣豪伝』『信夫の鷹』など、多彩な作品を残しました。 turn299003search10
  • 『咲庵』では野間文芸賞を受賞し、歴史小説家としても高く評価されました。
  • 1969年8月19日に亡くなり、この日が「義秀忌」と呼ばれています。 turn299003search7
  • 「義秀忌」は俳句では秋の季語です。