福山城築城記念日(8月28日)

8月28日は「福山城築城記念日」です。広島県福山市が、福山藩初代藩主・水野勝成が福山城の完成を幕府に報告したとされる日にちなみ制定し、2024年に一般社団法人日本記念日協会の認定を受けました。福山城を築き上げ、守り伝えてきた先人たちの歩みを振り返り、その歴史や文化を後世へつないでいくことを目的とした記念日です。
由来
日付の8月28日は、1622年(元和8年)旧暦8月28日に、水野勝成が福山城の完成を幕府へ報告したとされることに由来します。福山市は築城400年を迎えた2022年にも、この日を「福山城築城400年記念日」と位置づけ、福山城博物館のリニューアルオープンなどの記念事業を実施しました。
その後、福山市は8月28日を恒久的な「福山城築城記念日」として一般社団法人日本記念日協会に登録しました。福山市などの公式発表によると、築城した日を記念日として同協会に登録した城は、福山城が全国で初めてとされています。
福山城と水野勝成
福山城は1622年、福山藩初代藩主の水野勝成によって築かれました。勝成は備後国を治める大名として福山の城下町づくりを進め、福山城は江戸時代を通じて地域の政治や文化の中心となりました。福山市の資料では、1622年旧暦8月28日に城号を「福山城」とし、城下を「福山」と名付けたとされています。
福山城は、西国の有力大名に備える「西国鎮衛」の役割を担う城として整備されました。天守をはじめ多数の櫓や門を備えた大規模な近世城郭で、江戸時代初期の城郭建築の特徴を伝える存在として知られています。
全国でも珍しい「天守北側の鉄板張り」
福山城を象徴する特徴の一つが、天守北側の壁面に施された鉄板張りです。福山市によると、北側の壁面を鉄板で覆った構造は全国の天守の中でも極めて特殊で、他に類例が確認されていません。風雨への備えに加え、城郭の北側に寄って建てられた天守を攻撃から守る目的があったと考えられています。
1698年(元禄11年)の記録にも天守北側が鉄で覆われていたことが記されており、2020年から2022年に行われた大規模改修「令和の大普請」では、古写真や史料などをもとに鉄板張りの外観が復元的に整備されました。
戦災による焼失と市民による再建
福山城天守は近代まで残っていましたが、1945年8月8日の福山空襲で焼失しました。その後、1966年(昭和41年)の福山市制施行50周年記念事業として、市民や企業からの寄付をもとに天守が再建されました。現在の福山城は、戦災からの復興と市民による保存の歴史を伝える福山市のシンボルでもあります。
一方、伏見櫓や筋鉄御門などは戦災を免れて現在まで残っています。伏見櫓は1954年の解体修理の際、梁に残された刻銘から京都の伏見城から移築された建物であることが確認されています。
築城400年を機に生まれた記念日
2022年には福山城築城400年を記念し、天守の耐震改修や外観復元、福山城博物館の展示リニューアルなどが行われました。8月28日には福山城博物館がリニューアルオープンし、城を中心に福山の歴史を振り返る大きな節目となりました。
こうした築城400年の取り組みを一過性のものにせず、福山城を築き、守り続けてきた人々の歩みを後世へ伝えるため、福山市は8月28日を「福山城築城記念日」として正式に登録しました。記念日に合わせて福山城博物館の無料開館や文化財の特別公開など、福山城の歴史に触れる取り組みも行われています。
豆知識
- 福山城は、福山藩初代藩主・水野勝成によって1622年に築かれました。
- 8月28日は、水野勝成が福山城の完成を幕府へ報告したとされる旧暦の日付に由来します。
- 福山市の資料では、1622年旧暦8月28日に城号を「福山城」とし、城下を「福山」と命名したとされています。
- 天守北側の鉄板張りは、全国の天守でも極めて特殊な構造として知られています。
- 1945年の福山空襲で天守が焼失し、現在の天守は1966年に再建されたものです。
- 2022年の築城400年に合わせて「令和の大普請」が行われ、天守北側の鉄板張りなどが復元的に整備されました。
- 一般社団法人日本記念日協会への築城記念日の登録は、福山市の発表では城として全国初の事例です。