益軒忌(8月27日

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8月27日は「益軒忌(えきけんき)」です。江戸時代の儒学者・本草学者として活躍し、健康と長寿について説いた『養生訓』で広く知られる貝原益軒(かいばら えきけん)を偲ぶ日です。

貝原益軒は1630年に筑前国の福岡城内で生まれ、儒学だけでなく医学、本草学、歴史、地理など幅広い分野を研究しました。晩年まで旺盛な著述活動を続け、『養生訓』『大和本草』『筑前国続風土記』など多くの著作を残しています。

益軒忌の由来

貝原益軒は正徳4年8月27日に亡くなりました。この旧暦の日付にちなみ、8月27日が「益軒忌」とされています。

ここで注意したいのが暦の違いです。正徳4年8月27日は、現在使われているグレゴリオ暦に換算すると1714年10月5日に当たります。そのため、貝原益軒の没年月日は資料によって「1714年10月5日」と表記されることがありますが、益軒忌の「8月27日」は当時の旧暦の命日をもとにしています。

記念日 益軒忌
日付 8月27日
人物 貝原益軒
生没年 1630年~1714年
旧暦の没日 正徳4年8月27日
現在の暦での没日 1714年10月5日

貝原益軒とは

貝原益軒は寛永7年(1630年)、福岡藩士・貝原寛斎の五男として生まれました。名は篤信(あつのぶ)、字は子誠といい、晩年に「益軒」の号を用いるようになりました。

若い頃から儒学や医学に関心を持ち、福岡藩に仕える一方、京都などで学問を深めました。その研究対象は儒学だけにとどまらず、本草学、医学、教育、歴史、地理など非常に幅広いものでした。

福岡藩では、藩主・黒田家の歴史をまとめた『黒田家譜』や、筑前国の地誌である『筑前国続風土記』の編纂にも携わっています。各地を実際に歩き、自然や産物、歴史、文化を観察する姿勢も益軒の学問の特徴でした。

代表作『養生訓』

貝原益軒の著作の中で、現在まで特に広く知られているのが『養生訓』です。正徳年間にまとめられ、1713年に刊行されたとされる健康指南書で、食事、運動、睡眠、飲酒、心の持ち方、病気との向き合い方など、日々の生活における養生について幅広く説いています。

『養生訓』は単に病気を治療する方法を記した本ではありません。普段の暮らしを整え、自らの心身を大切にすることによって健康を保つという考え方が中心となっています。

  • 飲食を節度あるものにすること
  • 体を適度に動かすこと
  • 心を穏やかに保つこと
  • 睡眠や日常生活のリズムを整えること
  • 薬だけに頼らず、日頃から健康を守ること

益軒自身も健康維持に努めながら晩年まで執筆を続け、数え85歳で生涯を閉じました。当時としては非常に長寿だったことから、その生き方と『養生訓』の内容を重ねて紹介されることも多くあります。

『大和本草』にも残る功績

益軒は本草学の分野でも重要な仕事を残しました。1709年に成立した『大和本草』は、植物や動物、鉱物などを幅広く扱った本草書です。

中国の本草学の知識をそのまま紹介するだけでなく、日本で実際に見られる動植物や産物について自ら観察した情報を取り入れている点が特徴です。益軒が書物から得た知識だけではなく、実際の観察や経験を重視していたことを示す代表的な著作といえます。

福岡に残る貝原益軒の足跡

貝原益軒と妻・東軒の墓は、福岡市中央区今川にある金龍寺にあります。福岡市内には益軒の屋敷跡を伝える碑なども残されており、福岡の歴史や学問を語る上でも重要な人物として紹介されています。

『養生訓』に代表される健康への考え方だけでなく、自然を観察し、各地を歩き、得られた知識を人々の日常生活に役立てようとしたことも貝原益軒の大きな特徴です。

豆知識

  • 「益軍忌」ではなく、正しい表記は「益軒忌」です。
  • 人物名も「貝原益軍」ではなく「貝原益軒」です。
  • 益軒の旧暦での命日は正徳4年8月27日で、現在の暦では1714年10月5日に当たります。
  • 代表作には『養生訓』『大和本草』『筑前国続風土記』『和俗童子訓』などがあります。
  • 『養生訓』は健康だけでなく、食生活や心の持ち方、老後の過ごし方など日常生活全般を扱っています。

益軒忌は、『養生訓』を残した人物を偲ぶだけでなく、貝原益軒が生涯を通じて追究した「日々の暮らしの中で心身を養う」という考え方に触れる機会となる日です。