荒磯忌(8月17日)

8月17日は、小説家・詩人の高見順(たかみ じゅん)を偲ぶ「荒磯忌(ありそき)」です。高見順は1965年(昭和40年)8月17日に58歳で亡くなりました。忌日の名は、高見順が残した詩「荒磯」にちなむものとされています。
荒磯忌の由来
「荒磯忌」という名称は、高見順の詩「荒磯」に由来します。「荒磯」は晩年の詩集『死の淵より』に収められた作品の一つで、自らの出生や故郷、そして死を見つめる高見順の意識が強く表れた作品です。
高見順は1965年8月17日に亡くなりました。そのため、毎年8月17日は、その文学と生涯を振り返る忌日として「荒磯忌」と呼ばれています。
高見順とは
高見順は、一般に1907年(明治40年)1月30日生まれとされる小説家・詩人です。福井県三国町、現在の福井県坂井市三国町に生まれ、本名は高間芳雄。東京帝国大学文学部を卒業しました。
1930年代から文学活動を本格化させ、長編小説『故旧忘れ得べき』で注目を集めました。その後も『如何なる星の下に』『わが胸の底のここには』『いやな感じ』などを発表し、昭和文学を代表する作家の一人として活動しました。
小説だけでなく詩や日記にも重要な作品を残しており、とくに晩年の詩集『死の淵より』は、病と死に向き合う自身の心境を率直な言葉で表現した作品として知られています。
「荒磯」と故郷・三国
高見順が生まれた三国は、日本海に面した港町です。近くには荒々しい岩壁で知られる東尋坊があり、日本海の厳しい自然に接する土地でもあります。
詩「荒磯」では、自らが荒磯の土地に生まれたことに触れながら、出生や人生、死を見つめています。「荒磯」という言葉は単なる風景描写にとどまらず、高見順自身の原点を象徴する言葉として読むことができます。
日本近代文学館の設立にも尽力
高見順は作家として作品を残しただけでなく、近代文学資料を後世へ伝える活動にも力を注ぎました。文学資料の散逸を危惧し、日本近代文学館の設立運動を推進した中心人物の一人です。
1965年8月16日には日本近代文学館の起工式が行われましたが、その翌日の8月17日に高見順は死去しました。文学館の完成を見ることはできませんでしたが、その活動は後の日本近代文学研究や文学資料保存につながっています。
豆知識
- 高見順の本名は「高間芳雄」です。
- 生年は一般に1907年とされていますが、日本近代文学館の資料では1906年とする説もあることが紹介されています。
- 代表作には『故旧忘れ得べき』『如何なる星の下に』『いやな感じ』などがあります。
- 晩年には病と向き合いながら詩を書き、詩集『死の淵より』を残しました。
- 「荒磯」は『死の淵より』に収録されている詩の一つです。
- 日本近代文学館の設立運動では中心的な役割を担い、初代理事長を務めました。
- 高見順が亡くなった1965年8月17日は、日本近代文学館の起工式が行われた翌日でした。
荒磯忌に高見順の文学を振り返る
荒磯忌は、単に作家の命日を記憶するだけでなく、高見順が残した小説、詩、日記、そして文学資料を未来へ残そうとした活動を振り返る日でもあります。とりわけ晩年の作品には、生と死を真正面から見つめる言葉が多く残されており、「荒磯」という作品名は高見順の人生と文学を象徴する言葉の一つとなっています。