冒険家の日(8月30日

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8月30日は「冒険家の日」として知られています。日本の冒険史に残る挑戦が8月30日に達成されたことにちなむ記念日として紹介されており、とくに1965年の同志社大学南米アンデス・アマゾン遠征隊によるアマゾン川源流域でのボート下りと、1989年の堀江謙一による小型ヨットでの太平洋単独横断が代表的な出来事です。

一方、記念日の由来としてしばしば挙げられる植村直己のマッキンリー単独登頂については、日付に注意が必要です。一般の記念日資料では「1970年8月30日」と紹介されることがありますが、植村直己の足跡を記録した資料では1970年8月26日の登頂とされています。

由来

1965年8月30日、同志社大学の「南米アンデス・アマゾン遠征隊」が南米での遠征中、アマゾン川源流域からのボート下りに成功したとされています。福岡県立図書館などの記念日紹介では、アマゾン川の源流からのボート下りを世界で初めて成功させた出来事として紹介されています。

資料によっては「源流から約130kmを下った」と説明されています。ただし、遠征の詳細については資料ごとに表現や距離の記載に差が見られるため、「アマゾン川源流域からのボート下りに成功した」という表現がより確実です。

さらに1989年8月30日には、海洋冒険家の堀江謙一が全長2.8mの小型ヨット「マーメイド号」で、アメリカ・サンフランシスコから兵庫県の西宮港までの太平洋単独無寄港横断を達成しました。日本セーリング連盟の記録でも、1989年の航海は「太平洋横断では世界最小の小型ヨット」によるサンフランシスコ~西宮港間の単独無寄港太平洋横断として紹介されています。

「太平洋単独往復」という表現について

堀江謙一の1989年の航海は、1回の航海で太平洋を往復したものではありません。堀江は1962年に西宮からサンフランシスコまで太平洋を単独無寄港で横断し、1989年には反対方向となるサンフランシスコから西宮までを単独無寄港で横断しました。

このため、一部の記念日資料では1962年と1989年の2度の航海を合わせて「太平洋単独往復」と表現しています。しかし、1989年8月30日に達成された航海そのものを説明する場合は、「サンフランシスコから西宮までの単独無寄港太平洋横断」とするのがより正確です。

植村直己の五大陸最高峰登頂との関係

「冒険家の日」の説明では、冒険家・植村直己が1970年8月30日に北アメリカ最高峰マッキンリーへの単独登頂を果たし、世界初の五大陸最高峰登頂者になったという説明も広く見られます。

しかし、明治大学山岳部関係者による記録では、植村がマッキンリーに単独登頂した日は1970年8月26日とされています。植村直己冒険館などの公式系資料も1970年8月のマッキンリー単独登頂と五大陸最高峰達成を確認できますが、「8月30日」を登頂日とはしていません。

植村は1966年にヨーロッパ最高峰モンブラン、アフリカ最高峰キリマンジャロ、1968年に南アメリカ最高峰アコンカグア、1970年5月に世界最高峰エベレストへ登頂。そして同年8月のマッキンリー単独登頂によって、世界初の五大陸最高峰登頂者となりました。

その功績自体は間違いありませんが、「1970年8月30日に達成した」という記述については、史料と食い違うため注意が必要です。

冒険家の日が伝えるもの

山岳、河川、海洋と舞台は異なりますが、未知の環境へ踏み出し、自らの力で困難を乗り越えようとした挑戦には共通するものがあります。

「冒険家の日」は、単に危険なことへ挑戦する日というよりも、過去の冒険家たちの足跡を振り返り、未知の世界へ挑む好奇心や行動力について考えるきっかけになる日といえるでしょう。

豆知識

  • 同志社大学南米アンデス・アマゾン遠征隊のボート下りは、1965年8月30日の出来事として複数の図書館・記念日資料で紹介されています。
  • 堀江謙一は1962年、西宮からサンフランシスコまでヨットで単独無寄港太平洋横断を達成しています。
  • 1989年には反対方向のサンフランシスコから西宮へ、全長2.8mの「マーメイド号」で単独無寄港太平洋横断を達成しました。
  • 植村直己が世界初の五大陸最高峰登頂者となったことは確認できますが、マッキンリー単独登頂日は1970年8月26日とする記録があり、「8月30日」とする一般的な記念日解説とは食い違います。
  • 「冒険家の日」について、確認できる範囲では明確な制定団体や公的な制定経緯は判然としておらず、歴史上の冒険を振り返る記念日として広く紹介されています。